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人間と人工知能は何が違うか?【東大・松尾豊准 教授出演の番組を見ての感想】

先日、Eテレで放送されていた人工知能について語る番組『人間ってナンだ?超AI入門』を見ました。全体的な感想としては、正直ものたりなかった。あまりAIについて知らない人向けの解説番組だった、テレビだから仕方ないけど。東大の松尾先生も出ていましたが、わかりやすく解説するのがお仕事だったので、個人的に期待していたような深い話は聞けませんでした。テレビだから仕方ないけど。

その番組の中で、繰り返し、言い方を変えながらも問われていた質問は

「人間と人工知能は何が違うか?」

というものでした。

 人間と人工知能の違いは?

これはディープラーニングの台頭で人工知能に注目が集まってから特になされる質問で、回答が非常に難しいものである。というのも「観点・見方」によって違うからである。

番組中でも「人間には感性がある(人工知能にはない)」とか「人間は非合理的な行動をとる(人工知能は合理的である)」といった意見が出ていたが、完全ではないものの、人工知能に感性を組み込む研究や、ランダム要素を入れて非合理的な行動をするように仕向けることもしている。私もコンピュータサイエンスをかじったことのある人間として、このくらいのことは知っているが、そういった研究背景を知れば知るほど、この「人間と人工知能との違い」に答えるのが難しくなってくる。

(現状での)私の考えは・・・

細かいことを言えば、人間の複雑な認識・思考プロセスは現状、人工知能上で実装できていないので、そこが違いであるとも言えるが、そんな細かいことは置いておいて、「人間らしいふるまい」という大きな概念で自分なりに考えてみた。とりあえず、今私は以下のように思っている。

「人間には死・寿命がある(人工知能にはそれがない)」

上に書いたように、人工知能に感性や非合理性を入れることはできる。しかし問題は、いつ感性に左右され、どのくらい非合理的な行動をとるかということ。私は、それは終わり(死・寿命)があるから、ときに合理的、ときに非合理的、そして感性に左右されるのではないか?と思う。例えば、終わりがあるから合理的な判断をして効率よく進めたり、終わりがあるから逆に、一度きりの人生を寄り道してでも楽しまないと!的な考えが生まれるのではないかと思う。現状、人工知能は死・寿命を意識していないだろう。獲得した知能は永遠に引き継がれ、積み上げられていく仕組みになっている。でも人間は違う。死があるから、引き継がれずに消えてなくなるから、自分らしく生きるための感性や非合理性が必要になる、のではないか?

松尾先生の答えは?

番組の最後に、松尾先生は、「まず前提として、人間は生命体なんです。知能は道具なんです。人工知能は知能なんです」と差別化していた。そして、世間で騒がれているような、人工知能がいつか人間と同じふるまいをし、やがて追い越してしまうのではないか?という疑問に対して、「知能はいくら発展しても生命体にはならない」と答えていました。人間には~~ができて、人工知能にはできない、みたいな事を列挙していくような議論が盛り上がっていますが、根本的に、人間が生命体であるという点で違うというのが松尾先生の回答でした。

私の「人間には死・寿命がある」というのは、人間が生命体であるということと同義??松尾先生と同じ意見??(笑)

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